海辺の防波堤に、子どもが二人並んで座っている。どちらも背中を向けているので顔は見えない。遠くに橋と工場の煙突がかすんでいる。写真家の濱田英明が二人の息子、ハルとミナを撮った写真だ。他人の家の子どもなのに、見る人はそれぞれ自分の子ども時代のある午後を思い出す。

デザイナーから写真家へ

濱田は1977年、兵庫県淡路島に生まれた。デザイナーとして働いたのち、2012年、35歳でフリーランスの写真家になった。同じ年、台湾で初の写真集《Haru and Mina》を出した。現在は大阪と神戸を行き来しながら、個人の作品のほか、雑誌、広告、ポートレート、映像の演出まで手がける。

《Haru and Mina》、11年の距離

ハルとミナは濱田の二人の息子である。彼は2009年7月から2020年4月まで二人を撮り続けた。2025年末に出た改訂増補版は、その間に撮った8,000枚あまりから313枚を選び、504ページに収めた。

写真の中の子どもたちは、カメラを見てポーズをとらない。水辺を歩き、木に登り、防波堤に座って遠くを見る。画面には子どもよりも周りのほうが広く入る。桜の散った草地、土手のコンクリート、曇った空。後ろ姿と横顔が多い。だから表情を読むより先に、その場の空気を感じることになる。

はじめからこう撮っていたわけではない。濱田はSHIPSのインタビューで、最初は子どもたちの顔に近寄って撮っていたが、中判フィルムカメラを使うようになって離れた構図を探すようになったと語った。毎日一緒にいるからこそ、離れることができるというのだ。近しさを見せるために寄り添って立つ必要はない。長い時間をともに過ごしているから、待つことができる。

桜の花びらが散った草地の真ん中に、子どもがひとり背を向けて立っている。桜の枝が画面の上部を覆い、奥に赤い塀が見える。
《Haru and Mina》(2015–2016)。花びらが散った草地の真ん中で、子どもが背を向けて立ち、桜の枝を見上げている。 © Hideaki Hamada

一枚だけ見ればありふれた家族写真かもしれない。だが何年分もの写真を続けて見ると、子どもたちの背が伸び、二人のあいだの距離が変わり、撮る人との間合いも変わっていく。濱田の写真は、一枚よりも何枚も積み重なったときに力を発揮する。

《Family》、表情より体の向き

《Family, 2012–2017》は二人の子どもを越えて、家族という関係を見つめる。全員が正面を向いて立つ家族写真は少ない。ひとりが別のひとりを見つめていたり、同じ空間でそれぞれの時間を過ごしていたりする瞬間が多い。

一歩引いたからといって感情が薄まるわけではない。引いてこそ関係の全体が見える。濱田は顔だけを大きく写さず、体の向き、部屋のつくり、人と人のあいだの余白まで一緒に収める。アマナのインタビューで彼は、被写体との物理的な距離が心理的な距離につながり、離れているからこそ見る人が写真の中に入ってこられると説明した。

穴の開いた白い壁の前で、青い折りたたみ椅子に白いTシャツ姿の男性と小さな女の子が並んで座り、同じ方向を見上げている。
《Family》(2012–2017)。折りたたみ椅子に座った二人は同じ方を見ていて、互いを見てはいない。 © Hideaki Hamada

《DISTANT DRUMS》、どこでもない場所

2019年に自費出版した《DISTANT DRUMS》は、2013年から2018年にかけてロンドン、パリ、エジプト、台北、香港、ハノイなどで撮った写真をまとめたものだ。タイトルは村上春樹の旅行記『遠い太鼓』から来ている。

濱田の旅の写真にはランドマークがほとんどない。写っているのは道を渡る人々、バイクに腰かけた男たち、書店の前の立て看板といったものだ。見知らぬ国でも、誰かが歩き、待ち、働いている。都市の名前を外せば、互いに遠く離れた場所の写真がひとつの世界のようにつながる。2014年の《India》と《USA》のシリーズにも同じまなざしがある。

広い車道を、赤や黄色、ピンクのサリーを着た女性たちが連れ立って渡っていく。奥に街路樹と信号、バイクが見える。
《India》(2014)。色とりどりのサリーを着た女性たちが車道を渡る。 © Hideaki Hamada

東京ではその逆だ。2014年から続く《Tokyo / Somewhere》は、無料誌『メトロポリターナ』の連載から始まった。見慣れた都市で、彼は名前のつかない場所を探す。鳩が飛び立つ歩道、横断歩道の前に立つ老人、建物の角にとどまる光。

ガラス張りの店の前の歩道で鳩の群れが飛び立ち、傘を持った人がそのあいだを歩いていく。
《Tokyo / Somewhere》。傘を持った人が、飛び立つ鳩のあいだを通り過ぎる。 © Hideaki Hamada

《Camera Talk》、見つめる人を見つめる

2010年から続く《Camera Talk》は、カメラを構える人を撮り返すシリーズだ。砂丘で、小川の真ん中で、公園の芝生で、誰かがこちらに向けてカメラを構えている。作家はこのシリーズに短い説明を添えた。あなたと、あなたを見つめる人は同じ時代を生きている、という内容だ。

このシリーズには、濱田が写真をどう見ているかがそのまま表れている。写真には写された人だけでなく、見つめた人の時間も残る。撮る人と撮られる人は同じ瞬間を分かち合う。そう考えると《Haru and Mina》は、父親が子どもを記録した写真であると同時に、ひとりの人が別の人を長く見つめた記録でもある。

霧のかかった海を背にした砂丘の上で、長いスカートの人がこちらに向けてカメラを構えている。
《Camera Talk》。砂丘の上の人が、こちらにカメラを向ける。 © Hideaki Hamada

10枚という制約

濱田が愛用してきた機材は、本人のインタビューと投稿で確かめられる。2011年のロモグラフィーのインタビューで、彼はいつも鞄に入れている機材としてPentax 67IIとSMC Takumar 6×7 105mm F2.4・90mm F2.8、そしてKodak Portra 400を挙げた。2019年2月のXの投稿でも、主に使う組み合わせとしてPentax 67と105mm F2.4、Portra 400を記している。現像とスキャンは山本写真機店に任せ、必要ならLightroomとPhotoshopで自ら仕上げると述べた。

同じ2011年のインタビューで彼は、中判フィルム1本で撮れるのは10枚だと語った。だからフレームの隅々まで目を配り、シャッターを切る瞬間を惜しむようになるという。子どもを追いかけて続けざまに撮るのではなく、一歩離れて待つやり方は、この制約とつながっているのではないか。

ただし、濱田をフィルムだけの写真家とくくるのは難しい。2022年11月の投稿には、メインのフィルムカメラPentax 67II、サブのフィルムカメラMamiya 645 AFD II、メインのデジタルカメラFujifilm GFX 100Sが並べて書かれている。2018年の『COMMERCIAL PHOTO』のインタビューでは、iPhoneとデジタルカメラ、フィルムで撮った写真をひとつのギャラリーに載せるときはトーンをそろえると述べた。彼の色は一種類のフィルムから生まれるのではない。異なる機材で撮った結果を、自分の目でまとめ上げたものだ。

映画の現場でも同じ距離で

最近、濱田の名前は是枝裕和監督の実写映画『ルックバック』でも目にする。彼は約3か月にわたって撮影現場に張りつき、スチール写真を撮った。本編のカメラとは別の位置から、映画に映らない瞬間や周りの物まで収めた。二人の主人公がともに過ごした時間が見る人の記憶のように感じられるなら、《Haru and Mina》から続く距離と待つ姿勢がそこでも働いたからだろう。映画とフィルムの話は『ルックバック』の記事に別途まとめた。

雪の積もった屋外で、ニット帽とマフラーをした二人が笑っている。左の人は漫画雑誌を胸に抱えている。
『ルックバック』スチール写真、撮影 濱田英明。 ©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2 Pictures・集英社

作家情報

作品の全体は作家のウェブサイトで見られる。