人類がはじめて月で自分たちを撮ったとき、手にしていたのはフィルムカメラでした。
1969年の夏、アポロ11号が月に降り立ちました。私たちがあの瞬間を覚えているのは、ほとんどが写真を通してです。星条旗の横の宇宙飛行士、灰色の砂に残ったブーツの跡、ヘルメットに映るもうひとりの姿。けれど、この歴史的なイメージがすべてフィルムで撮られたことを思い出す人は、あまり多くありません。デジタルがなかった時代、月へ上がったのはフィルムカメラでした。
月に持っていったカメラ

アポロ11号が月面で使ったカメラは、ハッセルブラッドでした。スウェーデン製の中判カメラにNASA仕様を施した銀色のデータカメラ(HDC)で、レンズはドイツ・ツァイスのビオゴン60mm f5.6。このカメラには、私たちが知っているような目を当ててのぞくファインダーがありませんでした。宇宙飛行士はカメラを胸に固定したまま、体の向きを変えて狙ったのです。液晶もオートフォーカスも、もちろんありません。おもにこのカメラを持っていたのはニール・アームストロングで、私たちが知る月の写真のほとんどは彼の手から生まれました。
コダックの70mm、そして写真の中の十字

フィルムは、コダックがこの任務のために特別につくった70mmでした。ベースを薄くして、1回の装填でカラー160枚、モノクロ200枚を収められるようにしたものです。カラーはエクタクローム、モノクロはパナトミックX。アポロの写真をよく見ると、画面のあちこちに小さな十字のしるしが入っています。レンズの前に格子を刻んだガラス板(レゾー・プレート)を入れて、写った物の距離や大きさをあとから測れるようにしたのです。飾りではなく、科学でした。
露出計もなく、勘で

考えてみると、ひどい条件です。分厚い手袋をはめた手、目を当てられないファインダー、空気がなくて光と影が極端に分かれる環境。宇宙飛行士たちはあらかじめ決めておいた露出値に合わせ、ほとんど勘でシャッターを押しました。そうして撮った写真が、半世紀が過ぎたいまも人類を代表するイメージとして残っています。写真をつくるのは機材ではなく準備と感覚だということを、これほどよく示す例があるでしょうか。
カメラは置いて、フィルムだけ

いちばん好きなくだりがあります。帰るとき、彼らはカメラ本体を月に捨ててきました。地球に持ち帰ったのは、フィルムの入ったマガジンだけです。理由は単純で、帰りの宇宙船の重さを少しでも減らさなければならなかったから。写真はフィルムの中にあるのだから、本体はいらなかったのです。アポロ11号から17号まで、そうして月に残されたハッセルブラッドは12台。いまも月のどこかに、人類がはじめて自分たちを撮ったカメラが、そのまま置かれています。
1枚の重さ
私たちは1日に何百枚も撮っては消します。彼らは、ひとつのマガジンに収まった数百枚で、人類のいちばん遠い旅を記録しました。巻き戻すことも、先に確かめることもできないまま。フィルム1本を大切に巻き上げたことのある人なら、その緊張が少しはわかるはずです。月に置いてきたカメラの話がいまも心を打つのは、それが結局、1枚1枚を大事にしていた時代の話だからです。
自分の目で見たいなら
そのフィルムは、いまでも見ることができます。アポロが月で巻いたフィルムマガジンは、すべて高解像度でスキャンされ公開されています。十字のしるしも、少しぶれたフレームも、露出を外したカットもそのまま。きれいに整えられた代表作の数枚ではなく、フィルム1本を最初から最後までめくっていく体験です。月から帰ってきたフィルムを、私たちは1コマずつ巻き戻して見ることができます。
Apollo Image Archive
アポロが月で撮ったフィルム原本のスキャンを、1コマ単位で見られるアーカイブ。十字のしるしもそのまま残っています。
