1968年に公開された映画です。コンピューターグラフィックスという言葉もなかったころ。それなのに《2001年宇宙の旅》の宇宙船と星は、いま4Kの画面に映してもぼやけません。58年たった今でもです。
理由をたどると、結局はフィルムの扱い方に行き着きます。まずは何で撮ったのかから見ていきましょう。
何で撮ったのか
本編はイーストマン・カラーネガティブ50T、タイプ5251で撮影されました。タングステンバランスで感度はASA 50。カメラはSuper Panavision 70、フィルムは65mmの5パーフォレーション、撮影監督はジェフリー・アンスワースでした。現像はロンドン西部ウェスト・ドレイトンのテクニカラーのラボで行われています。
撮影仕様
- フィルム · Eastman Color Negative 50T、タイプ5251(タングステン、ASA 50)
- フォーマット · 65mm 5パーフォレーションのネガ、70mmで上映
- カメラ · Super Panavision 70
- 撮影 · ジェフリー・アンスワース
- 現像 · テクニカラー・ロンドン
5251は1962年に登場し、1968年に100Tの5254へ切り替わったストックです。撮影期間は1965年から1967年までなので、時期が合います。
感度50という数字に注目してください。フィルムは遅いほど粒子が細かくなります。65mmという大きな面積に細かい粒子を収めておいたので、あとで何度か複製を重ねても持ちこたえる余裕が残るわけです。大きなネガと遅いフィルム、そしてこのあと話す複製の方法が、同じ方向に働きました。
合成するたびに画質が削られた時代
当時の合成はこうでした。前景と背景を別々に撮る。そのフィルムをオプティカルプリンターにかけて撮り直し、ひとつの画面にまとめる。
問題は、この工程がそのまま複製だという点です。フィルムを複製すると粒子が粗くなり、コントラストがつぶれます。1回ならまだしも、画面に入れる要素が多ければ何度も通すことになる。通すたびに少しずつ悪くなる。これを世代劣化と呼びます。
だから当時のSF映画の宇宙船の場面は、前後の場面よりやけに汚かったんです。合成したカットだけ画質が落ちるので、目立ってしまいました。
方法その1。同じフィルムに何度も露光する
《2001》の制作陣は、一部の場面を複製なしで作ってしまいました。オリジナルネガ1本に、何回かに分けて露光する方法です。
まず背景が入る部分を覆ったまま、宇宙船の模型を撮る。フィルムを正確に始点まで巻き戻す。今度は宇宙船の部分を覆って、星や惑星を撮る。カメラの動きをまったく同じに繰り返す装置を使い、別々の要素が1本のオリジナルフィルムの上にぴたりと重なるようにしました。
背景が動く場面も同じです。デジタル合成がないので、アニメーションのように1コマずつ位置をずらしながら撮りました。
危うい方法です。露光や位置が少しでもずれれば、先に撮っておいた分までまるごと捨てるしかない。実際、同じ場面を何度も撮り直しています。
このときスクリーンに映した背景は8×10インチのエクタクロームのスライドでした。アフリカの現地で大判カメラで撮ってきたオリジナルです。小さく撮って引き伸ばすと背景だけつぶれてしまうので、最初から大きな判で撮ってきたわけです。
問題は熱でした。あれだけの画面を埋めるには強い光源が要りますが、その熱でスライドのマゼンタ層がはがれてしまった。水冷式のアークランプを使い、スライドを耐熱ガラスに挟んで解決しました。
星の背景はフィルムだけで作ったわけではありません。金属板に穴をあけて後ろから光を当てたり、エアブラシで描いた絵をアニメーションスタンドにのせて撮ったりもしました。
セットも同じ姿勢で作られています。無重力の場面を撮るため、直径11メートルの円形セットを実際に回転させました。俳優が壁を踏んで天井まで歩いていく画面は、どうやって撮ったのか。セットを回したんです。撮れるものはできるかぎり撮った。だから、あとで合成するものが減りました。
方法その2。複製のやり方そのものを変える
ここでよく誤解が生まれます。《2001》は複製をしなかったからきれいなのだ、という話が出回っていますが、事実ではありません。
特殊撮影効果を担当したダグラス・トランブル本人が明かした数字があります。映画のショットの半分以上が複製だった。
複製はしたんです。複製の経路を変えただけ。カラーフィルムをカラーのまま複製せず、オリジナルのカラーネガからモノクロ3色分解マスターを起こしました。赤、緑、青をそれぞれ3本のモノクロフィルムに分けて記録する方法です。これをバイパック・カメラプリンターにかけて合成しました。
トランブルはこう書いています。
「私たちは、すべての複製をモノクロ3色分解マスターで行うことにした。ショットの合成にカラーインターポジは1本も使っていない。粒子が増えず高い画質を保てたのは、主にこのためだと考えている」
ダグラス・トランブル、American Cinematographer 1968年6月号
言葉だけではピンとこない方法です。幸い、同じ原理を100年前に使った人がいます。ロシアの写真家プロクジン=ゴルスキーは、ひとつの場面を赤、緑、青のフィルターで3回に分けてモノクロのガラス乾板に記録しました。3枚を重ね直すとカラー写真になります。
《2001》の制作陣がやったのは、これです。ただし規模が違いました。ガラス乾板3枚の代わりにモノクロの映画フィルム3本が、写真1枚の代わりにショットひとつがまるごと入ったんです。
当時のカラーインターポジは、1世代通すたびに粒子が目に見えて増えました。モノクロフィルムはそうではなかった。色を3本に分けてモノクロとして扱えば、何度複製してもオリジナルにずっと近いまま残ります。手間は3倍かかりますが、画質は守れました。
合成に使ったのがバイパック・プリンターです。2本のフィルムを重ねてひとつのゲートに通す装置で、片方がマスクの役目をして、もう片方の像だけを通します。
光の壁を作った装置
映画の終盤のスターゲートの場面は、このどちらの方法でも作れませんでした。画面いっぱいに広がり、果てしなく押し寄せてくる光の通路です。トランブルはそのための装置を自分で作りました。
スリットスキャンと呼ばれる方法です。原理はこう。後ろから光を入れた絵の板の前に、細長いすき間をひとつ立てる。カメラのシャッターを開けたまま、カメラをそのすき間に向かって進めながら撮る。1コマを撮るあいだに、すき間を通った光がフィルムの上で長く伸びて線になる。これを1コマずつ、位置を少しずつ変えながら繰り返すんです。
1コマに数秒ずつかかりました。場面全体を撮り終えるのに数か月。そうしてできたのが、この画面です。
ほかに積み重ねたもの
画質はこの2つだけで生まれたわけではありません。
画質を守った条件
- 65mmネガ · ふつうの35mmとは、記録できる情報量そのものが違う
- フロントプロジェクション · 機械制御のカメラを使い、実写の前景と高解像度の背景をひとつの画面に収めた
- コマごとのマット作業 · 覆う部分を1コマずつ手で作った
目標はひとつでした。合成した場面も、そのまま撮った場面のように見せること。1世代も経ていないように見える画面です。
この仕事でキューブリックは、1969年の第41回アカデミー賞で特殊視覚効果賞を受賞しました。彼が個人として受けた唯一のオスカーです。授賞式には姿を見せず、ダイアン・キャロルとバート・ランカスターが代わりに受け取りました。
それで、4Kは
正確に言えば、4Kはデジタル画面のピクセルの規格です。この映画は65mmフィルムで撮られていて、フィルムにピクセルはありません。2つの単位は、そもそも別のものを測っているんです。
2018年に出た4K版がどう作られたかを見ると、関係がはっきりします。65mmのオリジナル・カメラネガを8Kでスキャンしたあと、4Kに縮めました。監修はクリストファー・ノーランと撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマです。
作業は、ネガを手で拭き、古いつなぎ目を取り除くところから始まりました。その年の成果は2つの形で出ています。ひとつはデジタル処理をしていない70mmの劇場用プリント、もうひとつはこの8Kスキャンから作った4K HDRマスター。どちらも効果を作り直したり、編集に手を入れたりはしていません。
4Kがフィルムの限界だったのではありません。フィルムに記録されていたものが、それより多かったんです。
58年前に大きなネガで撮っておき、複製のときに粒子が増えない道を選んでおいたおかげです。当時は4Kという言葉もありませんでした。