「手に余るほど暗い経験をしたおかげで、ふつうの一日がこのうえなく大きくなって、これ以上いいことはないのだから。」

創刊号の2本目のエッセイもKim Hyun-aだ。〈ロマン演出アイテム〉(낭만 조작 아이템)が道具の話だったとすれば、今回は時間の話である。何事もない名節(ミョンジョル。旧正月や秋夕などの節句)の昼下がり、そして母と寺へ出かけた帰り道。作家はそのありふれた風景の中に、光と影が生む静かな調和を見つける。

静かな秋夕の初日

名節のたびに長女の役目をしっかり果たしていた姉が嫁いでから、ひとり残った娘はその穴を埋めようとせっせと動く。母が用意しておいた材料の量を見れば、今年の秋夕がどれほど静かになるか見当がつく。

「今年は品数をもっと減らしたよ。サンジョク(串焼き)とエビとパジョンだけでいいから」

指示を終えた母は、急いでその場を離れる。私がサンジョクを焼くあいだ、母はナムルをゆでる。私がエビのジョンを焼くときはスープを煮て、最後のパジョンを焼くころには片づけをしている。完璧な分業でてきぱきこなす母娘は、2時間もかからずにすべてを終えた。

疲れた顔でアイスコーヒーをいれる母娘に、父がぶつぶつと言う。「なんでそんなに作ったんだ。もうこれ以上作らんでいい」

実のところ私は、料理の支度に追われてばたばたしていた昔の名節より、いまの名節のほうが好きだ。ひと言ぽんと言ってテレビを見る父と、くつろいでコーヒーを飲む母を見ていると、大げさでないこの空気を気に入っているのは私だけではないらしい。

何も起こらない、穏やかな毎日

もとからの性分なのか、年を取ったからなのか、それなりの波風をくぐってきたからなのか。いつからか私は、何も起こらない穏やかな毎日を願うようになった。

並べればきりがない静かな日常が、あまりに大切で、そのたびに幸せを感じる。

疲れを残さず目覚めた朝、コーヒーを1杯いれて始める仕事。日差しのいい日に窓を大きく開けてする掃除。いちばん静かな時間に近所のカフェで本を読んでいて、友だちからたわいない連絡がくること。1日1回かかってくる家族のビデオ通話で、甥っ子が甘える姿を見ることも。

ささやかな3種類のジョンを焼き、静かな秋夕を迎えるいまこの瞬間も同じだ。油のにおいを逃がそうと開けておいたドアの隙間から押し寄せる暑さ、その中にまだ残る夏のにおいと、ゆるやかに回る扇風機の音まで。誰もひと言も話さないけれど、心はくつろいでいるのがわかる。

ドライブ、そして寺

「あの上のほう、ひと回りしてこようか?」少しの沈黙を破って、母が聞いた。下の娘が退屈していないかと、気にかけてくれたのかもしれない。

何年か前から、考えごとが多くて不安なときは、落ち着いた空気を求めて寺へ行っていた。それからは自然とともにある独特の静けさが好きで、散歩がてら近所の寺へ出かけることもあった。たぶん、穏やかな毎日を願うための、ひとりきりのおまじないのようなものだったのだと思う。

このあたりの道を知り尽くしている母がハンドルを握った。秋夕なのにこんなに暑いね、と言葉を交わしているうちに、もう着いていた。いい気をもらおうと訪れた何人かが境内の隅々を回って手を合わせていて、私たちも静かにその後に続いた。お経を唱えるお坊さんの声が聞こえる。土のにおいと草のにおいが、息をするたびに深く入ってくる。

落ち着いた気持ちで、視野を広げて前を見た。四方に立つ高い木々の上で、白く、青く、赤い空が世界を包んでいる。淡い夕焼けが、宵の口の始まりを告げているようだった。

赤い空の下で

寺に長くはいなかった。自然のすぐそばに座す大きな仏像の前でささやかな願いごとをして、すぐに下りてきた。お互いの願いは聞かないまま、さっとひと回りして帰ろうと車へ向かった。

山のふもとから殺風景な幹線道路に出るまで、たわいない話をしたり、心地よい沈黙を楽しんだりした。ふと、窓の外の視界をふさいでいた建物が消えて、川が現れた。スマホをいじっていた私は、顔を横に向けて外を眺めた。宵の口を告げていた淡い夕焼けがいつの間にか濃くなって、空が真っ赤だった。

赤は情熱の色だ。あるいは恐怖、または愛。たしかに活動的な色なのに、夕焼けはとても静かだ。ある日の夕焼けは怖いほど真っ赤で、その姿がかえって寡黙に美しい。

エピローグ

なぜあの刺激的な空を、ただ見ているだけで心が安らぐのか。作家が車窓の向こうに見つけた答え。

なぜだろうと考えて、対照的なもの同士の調和が好きだからではないかと思った。夕焼けの赤い光に影が落ちて、雲も山も送電塔も建物も、ただ暗く見えるだけなのに、その暗さが赤を静かに受け止めているようだった。青く赤い空の下で支える影のおかげで、色の美しさはいっそう際立つ……

🔒 結末は雑誌で読む

じわじわと消えかけている夕焼けの下を、母の車は懸命に走る。その中で、夕焼けの余韻を収めようと、私も懸命に目を動かす。明日は秋夕の2日目が始まる。数少ないジョンと、じっくり煮込んだスープにご飯をひと匙入れて食べ、デザートにコーヒーを1杯飲みながら、たわいない言葉をいくつか交わすのだろう。

何事もない静かな一日を過ごせると思うと、このうえなく幸せになった。

雑誌で読める話

このエッセイのいちばん大事な気づき、つまり光と影の調和がなぜ私たちの心を静かに落ち着かせるのかというKim Hyun-aの答えは、ぜひ雑誌で読んでほしい。

Kim Hyun-a
5ft magazineの企画と執筆を担当。静かな日常の手ざわりをたどり、文章にしている。
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エッセイの全文は雑誌で

Kim Hyun-aのエッセイ〈何事もない日に幸せを感じる理由〉の全文は、5ft magazine Vol.01(創刊号)でお読みいただけます。